GizmodoさんがKindleっていいよねーっていう
サービス側でのキンドル話をしてますね。
★Kindleをうまく表現するには?
Kindleはここ10年の考え方が集約したような「仕組み」ですね。
モノの物理的な所有じゃなく
「権利をゲット」すること
ログインしたり、ムービーを見たりする権利だったり
自分のアバターに触れる「権利」を個人が所有。
そういった権利を売って、商売をするサービスのなかで
先端を行っているもの、現実社会のモノに近いサービスを
クールに販売しているサービス、
スマートに行っている例のひとつがKindleだとおもう。
Kindleは発売当初はハードとサービスが一致していたが
次第にハードの制限もなくなっていった珍しいサービスだとも思う。
コンテンツ=電子書籍を利用できる時間に期限がないから
モノとして存在は無いけど、逆に存在が無ことがメリットになってきた。
コンテンツは破損しないから、モノが無いほうが好都合だったりする。
気づくのはサービスを使ってから。
そういう感じのサービスとして受け入れられるようになっていった。
(PSPgoは受け入れられなかったようだが。)
ここまで面倒なくらいに文字を羅列しないと説明できないのは、
これまでそういうサービスがなかったから。
本を貸すにしても、本自体は物理的には存在していたわけで、
本がなくなったじてんでかなり難解なもののはず。
どんな機器でも一度コンテンツ=電子本を買えば
「その内容閲覧権を買った」 ことになり、対応する機器で
いつでも見れる、そういうもの。
『プラットフォームに縛られない、コンテンツ所有閲覧権。』
そんな感じが一番短い紹介文かもしれない。
プラットフォームに縛られないということの具体例を挙げれば、
iTunesの場合、iPodやiPhoneやWindows、Macでの使用が
限界という感じだったが、Kindleはリナックスだろうが、
MacだろうがWinだろうが、どれでもいけてしまうように作ろうという
戦略があり思想がある。
E-inkの白黒デバイス=Kindle
という風に展開当初イメージしていたが
今となっては大きな誤認識だ。
KindleはあるときはiPadの中にあり、
またあるときはAndloidにあり、
デスクトップPCの中にもある。
プラットフォームに縛られない、コンテンツ所有サービス。
なんだか、変なもんだが、もうスタンダードに成りつつある。
★コンテンツの概念的所有は、どこに向かう?
そういう、概念上の所有はネットの先にあるサーバが発達することで
音楽を皮切りに始まったが、映像に伝染し、本に伝染していった。
今後、この考えが発展していくことで、プロバイダの提供サービスや
交通など全く異なる種類のものにも「サービスを所有する所有権」
という考えが感染していくのかもしれない。
エネルギーの分野でもガソリンを買うという物理の伝達から
スマートグリッドの広がりなどがトリガーになり、
エネルギーの分野での所有権の往来、
金銭との交換がメジャーな考えとして流通するかもしれない。
(たとえば、風呂を沸かすお金と車を走らすお金を共通に考えたり
ソーラー発電で得たエネルギーを冷房代と相殺したり。)
実際にはまだ先の話だが、人間がかつて持ったことの無い
価値観が目の前にいきなり大きく広がるわけだ。
土地についても、大きければ価値があるという物理的な意味は減り、
路線価の様な、勝ちある場所に近いことが、移動短縮という意味で
価値が重視されるような状態になっていくのではないか?
(モノに価値が無いなら、スペースはそれほど大きくなくて良いわけだし
それより、地の利、暮らしの便利さ=価値になってくるかも)
ちょうどアメリカが貨幣からカード文化にどっぷりになったり
日本では、Suicaやフェリカが横行しコインや紙幣のも物理的な
価値が失われてきたように、 どんどん何か別の価値が
流通していくことになる。
★新時代?黒船?…だいじょうぶか?
サマーウオーズみたいに成るのかもしれないし、
そうなるまでに、人間の概念的理解が追いつくのか?とか
便利さが理解されるパラダイムシフトを食い止めようとする
旧勢力とのせめぎあいで新しい価値の浸透が減速したり
採用が遅れたり、逆にスピード導入が起こったり。
(いまも、クルマでエネルギー革命が起こってますよね。)
いま、日本の出版がKindle対応とか対抗策を生み出せていないのは
パラダイムシフトを食い止める勢力の存在があるからじゃないかな?
黒船来航。
良くそんな風に、日本人は言うけど外圧でしか動けないというのは
実はエポックメイキングの波の上にある利益の山を見過ごしている
ことに他ならず、後ろからトボトボついていっている現状は
かつて栄華を誇った日本のやることじゃないんでは?ともおもう。
なにも、先頭にたってKindleを上回るものを作れといっているわけではない
いま、日本に有るコンテンツを新しい理論で流通させ
旧来のマネタイズから脱却しようということを唱えるべきだということ。
ゲームも本も新しい仕組みの中で生き残るかもしれないが、
なにか、日本勢力は完全に波に乗り遅れたのではないか?
という気がして成らない。
しがみつくほどの利益ももう枯渇しているだろうし、
そろそろ新しい波に飛び乗ろうという動きが出てもいいころなんだけどなぁ。
波乗りにはイイ頃だ。
ネタ元
Gizmodoさん
http://www.gizmodo.jp/2010/07/why-i-only-buy-kindle-books.html