金曜だし、たまにはオリジナルのコラム。
記事を作成するのにネットを巡回している。ここ数年ずっとそうしていると、肌感で時代の変遷がわかるような気になる。
おおまかに、200X年~201X年の話をすると
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権利の扱いの新展開と馴れ
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ネットの生活への侵食/ネットネイティブ世代の成人化
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ネットが生活の周りにあるハードへの侵食
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現実世界の溶解
という流れがあるっぽい。
社会情勢不安があるので、この先の事は少しばかり揺らぎがありそうだが、大体こんな感じかなというものをまとめてみた。
エアコンは20世紀の最大の発明なのかもな。
インドなどでは、エアコンが普及したことで一気に国の生産性が上がったという話も有るが、西側諸国の思惑も含め、ITを使って世の中がどう変わっていくのかということが見えてくるような気もする。
■権利をどう扱うかという文化の浸透
・マジコン 2007年
・フリー(クリス・アンダーソン) 2009年
・クランチロール日本動画協会に所属 2009年
・グルーポン日本上陸
・ビューンなど(ボリュームパーチェス型) 2010年
・Kindle 2012年
・コンプガチャ 2012年
・フリーミアムなサービスの終焉
(ボリュームパーチェスへ)
・TPP 2016年~
200X年代の終わりは、グレーゾーンを踏み越えながら、無料ビジネスをドンドン推し進めていた季節という感がある。
フリーミアムモデルで!なんて言ったら今は失笑されるしな。
マジコンなどは西海岸のハッカー倫理にみせかけ、日本の倫理観が飛んじゃってる頭のオカシイ、企業に所属していない層が犯したモラルハザードだったけど、こういうのの芽を摘むことから話が始まったようにも思う。
ちょうどPCの黎明期のようなエピソードであり、新しい時代の権利問題が垣間見えた部分でもありました。音楽業界などはコピーコントロールも以前には有りましたが、日本の音楽業界は新展開は無かったので、語らず。
クランチロールは日本以外で先行して「会員になれば無料」というモデルを早くから構築してネットでコンテンツを提供。日本人には黙っているという面白い状態が続いてました。ビューンなどが始まり、Kindleがやってきて「どうやら、モノが有れば正義の時間も終わって、サービスとの付き合いが始まるぞ」という気配が。
コンプガチャに関しては、どうもジャンルが違う話のような気もしましたが、加熱しすぎて問題になり、障壁が新たにできたという意味では、ストライクゾーンの決定が行われたような事態であり、記載を控えようとしましたが一応書いておきます。
どうなる、ゾウさん?
2015年にはフリーミアムモデルの限界がそこここに見え隠れし、遂にはTwitterやEvernote、Dropboxの先行き不透明感が濃厚になった年としてターニングポイントだったように思います。多くのサービスは課金をきちんとどこかのタイミングで実施するモデルに変更。無料ではじめて満足したら定期購入をするモデルがどうも定着をしてきたように思います。(変形ボリュームパーチェスモデル)
TPPが始まり、またコンテンツを仕切るエリア感覚が変わるので、波が起きるものと思いますが、ココはチャンスでも有ります。
ここまでの流れは、インターネットを使うことで多くの人にアプローチができるようになったことで起きる事象であり、経営学のチートである無料を展開し、客をつかみ、その後規模を確保した状態でビジネスを回すというモデルのシフトが現在進行中なのだと思います。
意外とテレビとの相性が良いのが面白いところですが、テレビはオカシクなってるので、オリンピックを前に仕切りなおしが必要なのかもしれません。
■ネットが生活に入り込んできた
・スマホの浸透
・クラウドが生活のインフラに
・LTEの展開、光回線の展開
・Facebook、Twitterの汎用化
・LINE
・カーナビの衰退スマホでナビ
・Facebookの広告プラットフォーム化
ココは、現在進行形。
マトモに動く、スマートなスマホとLTEが皆の手に有るというのは凄いことだ。
スマホの浸透がほぼ完了し、iPhone、つまりソコソコの高級機で一般庶民に優しい電話が浸透し出荷台数が頭打ちになったタイミングに今あります。
面白いことにネットネイティブな、生まれた時からインターネットな世代が20代になり始めることで、世の中の景色が変わってきました。
マイルドヤンキーなんて話が有りましたが、検索は出来なくてもLINEは使えるといった、謎の世代が世の中に広がります。東京に行かなくても情報は手に入るし、イオンに行けばなんとなくデチューンした東京がそこにある。っていう感じの社会がやってきてます。
面白いことに、はてな界隈では、2000年台のネットと違い、普通なひとが多くSNSなどで意見交換をするようになり旧ネットで跋扈していたオタクカルチャーは行き場を失い、どうしていいのか?という話題が出たりしていました。
実は、ネットの海は広大なので、旧ネットで跋扈なオタクな人の居場所も有るのですが、ネットには障壁が意外と無く、また、障壁をうまく使いこなせる一般人の流入により居心地が悪くなるという事態が起こっているのだなと思ったり。
で、ココの話は現実の世界がネットに流入してきたということがヒトツと、モノを持つことで満たされるバブル世代の名残がココで断絶する感じがします。
下の方に書きましたが断捨離が一般人にもできるようになるというのは面白いところで、デジカメに撮ってクラウドに上げてしまえば、思い出の写真は不要という世の中が目の前に。
それもコレも、インフラとしてクラウドが浸透することで「持ってなくても、ネットに繋がればどうにかなる」というイメージが、モバイル時のLTEや光回線によって実体化したというところにあると思います。
カーナビの終焉は非常に未来的。
モバイルを使ってナビをすれば、カーナビが必要なくなる、もしくは、カーナビよりも新しい道や渋滞状況が手元でわかるという話がココに完結したこともインターネットの生活への流入と、次に来るネットが生活の周りにある事象に関わり始めることの初期の萌芽なのでは?と思ったり。
■ネットが生活の周りにある事象に関わり始める
・Iotの定着
・衛生からインターネットが降ってくる
・スマートグリッドの実現
・電気自動車の台頭?
・自動運転(IoTの最大の功績?)
ここまで来ると、割と理解ができるところかと思いますが、メカの発展だけではなく、社会的馴れと、ハード的な問題解決と、大容量データをやり取りできるインフラの成立こそが、世の中の発展に必要とされるところかと。
エネルギー問題なども有るが、社会が発電量なども含めて相互依存をしていくスマートグリッドが実現するのではないか?と。ただ、スマートグリッドは意識されずに、需要と供給を貨幣と手弁当のやりくりレベルで統合して浸透していくように思います。
要は貨幣経済をやっていて、やりくりママが居れば、コストがかからない方に社会は変化していくということ。売電も行われることで、社会は旗振り役もいるものの、なんとな~く統一感がでてくるものと思います。
で、IoTは必要な部分に採用されるのと、マーケティングのために装備されるのの二通りかと思います。自発的につけるというよりは、企業が欲しい情報をそこかしこに置いたセンサーが取得し、そのセンサーが得る情報を貯めこみ使用していくのだと思います。交通量調査みたいなもので、使う人は使う。
メーカーとデータ屋と計測屋があらわれて、情報を目方で売っていく世の中になるわけで、個人情報を切り離すことで成立し、需要に裏打ちされた製品が多く出てくることで、データを計測される側の一般人もソコソコ満足の行く世の中になるのでは?と。
そのときに、このセンシング技術が世の中にはびこっている状態が、大きな意味を生むようになると思います。
ま、管理された社会というふうな見方もできる。
マーケティングが流行れば流行るほど、
管理された社会に近づいていくのは面白いところ。
ユーザー心理が予測される、アルゴリズムが抽出できるようになると
より、その、管理された感は濃厚なものになっていくのもと思います。
センシング技術がもたらす明るいクルマの世界
明るい話といえば、クルマの自動運転が主流になるということ。
メリットは交通事故が減ります。
癌がなくなる。という方が、社会的には大きなインパクトになりますが、それでも不慮の事故の訳1/4が駆逐できるとすれば、大きなインパクトになるものと思います。
上のランキングの5位に位置する不慮の事故の内訳は
不慮の事故の種類別に見た死亡割合(平成17年人口動態統計)ミサワ総研より引用
自動運転をすれば交通事故が減るのではなく自動運転を突き詰め、社会にあるデータが、人の死の確立を押し下げるといった感じになると思います。
スマートグリッドのところで、効率的な交通運用が可能になりますし、例えば、日本で扱うすべてのクルマのセンサーをリンクさせることで戦闘機F35が行ってるような、各機体をリンクさせて飛翔させる編隊活動を全国で実施できる様になれば、少なくとも車対車の事故は発生しなくなります。
F35の強みは編隊飛行のリンクシステムに有る。
F35の様に編隊行動をとることの他のメリットとしては、車が停止中も全方位でセンサーを稼働させることで、老人やこどもの急な飛び出しも車のネットワークを介して予測ができるようになるということです。
おそらく、超高齢化社会になることで、車の運転ができない世代が多くなることが考えられますから、こういったものは必要になってきます。
また、下記のような問題解決が簡単に思いつきます。
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買い物に行くのに車を運転するが、運転自体は面倒。という層にまずウケ、
そのまま、老人や子どもでさえも扱える車が出ると思います。
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ボールを追いかけ車道に飛び出す子どもは
熱感知センサーと動体予測で回避可能なスピードをはじき出し、
予めスピードを制限する。子どもは高齢化社会で必須だしな。
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グレーの服を着て信号を渡らず、大通りを横切る老人は、
熱感知センサーと年齢と運動能力テストなどで得られた値を基に
回避可能な範囲を予測し、警笛を鳴らしつつ、回避。
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睡眠不足でハンドルを持つことはなくなり、
手動コントロールだったとしても、危機を察知して、コンピューター管理に。
など。
そうなると、交通事故による死亡は一気に解決します。
ドライブが趣味な方は、有料手動運転道路を走る事になるでしょう。
交通事故が排除できるのなら、タバコが世の中から排除されたように、大きな動きとして、交通事故が社会から排除され、スポーツドライビングというものが、有償でしか愉しめないものになるのでしょう。
サーキットでの走行会を楽しむ層というのが、
もっとコアなものになり、また走りを楽しむ
スポーツドライビングができる一般向けの
レーシングカーも登場することになるのでしょう。
加えて、高速道路は、列車のような運行システムに変わっていきフルオートになるものとも思います。
■現実との乖離
・3Dヘッドマウントディスプレイ
・断捨離/ミニマリスト
もうここまで来ると、遠くに来たな。という感じですね。
おそらく、10年くらい先の話か、交通事故が無くなった時代の方が更に先なのかもしれません。
ゲーム由来の3D技術は、老人世代への旅行願望、もしくは、退屈しのぎの一環として爆発するかもしれません。
スマホのモニタとにらめっこする没入感の延長。
そのまま長時間過ごすことが可能に馴れば、家などはそれほど広い必要がなくなるものとも思います。
タカオみたいなメンタルモデルも目の前に現れるんだろうな。
蒼き鋼のアルペジオのメンタルモデルが話し合ってた空間と同じように、現実と認識上の空間は同義になってくるのかとも思います。
現実の旅行ができるのは、
極一部の富裕層のものになるのかもしれません。
なんだか、生きること(死ぬこと)、動くこと、物を持つこと、など従来の価値観を総なめに管理したマトリックス的なモノに地下吹いているような気も…。
ま、SFというのは、考えられる未来であり、考えられることは、現実の物にできるものだとも言われています。
その頃に成れば、更に必要なモノがでてきて、例えば年を取りずらい死にずらいひとの発生などもバイオ系の研究では可能になってきているそうですし、老々介護が更に激しくなったり、夢のない世界になっているのかもしれません。
ちょっと、世界的に微妙な話が多い状態になってきてますが、ウマイことココを切り抜ければ、こんな世の中になるのではと、予想を立ててみた次第。
学者ともまた少し違う視点になっているかもしれないし、大きな出来事が起こるとまた社会は変わっていくのかもしれないが、今宵のコラムはこの辺で。